この街のステキな方々 ⑤

「四季の歌」というステキな歌がある。
  "春を愛する人は・・・"  ではじまってヒトの心情を春夏秋冬それぞれの季情に託して伸びやかなメロディー。いまやもう国民的歌謡といっていい。 斎藤秋生(あきお)、真子ご夫妻はまさにこの歌の雰囲気(ふんいき)です。しかも四季すべてのそれをお持ちの方とお見受けした。ともに山形県酒田に縁があり、おせっかいおばあさんのお世話で『形式的には、ま、お見合いですね』という具合で結婚。おない年61歳の今日である。
 秋生さんは『僕は風来坊』といわれる。真子さんも『彼は、つきつめれば家を必要としない人』と認める。家庭を軽んずるというのではなく『自由人なんですよ』。50代の早さで会社退職。成果が目に見えることがしたかった。北は北海道、南は奄美と農作業を経験され、いまも市内で『農園やってまぁ―す』。登山や釣りや旅行もかなりのものだが、それに加え町内活動もパトロールなど積極的である。『でも、それね、妻にリードされましてね・・・』と苦笑しながら夫は妻の顔をみる。


そうなんです。妻の真子さんの活動を全部あげようとすれば日が暮れる。多岐広汎、長年継続進行。でも、あえてほんの一部はと見れば、           
 町内会では「子供会の餅つき(19年継続中)」「紫陽花の会(子供会の親OB親睦会)」「民生委員(2013年まで)」「助け合いの会」「世代ふれあいの会」「おしゃべり会」「IT委員会」「体ほぐしの気功」「運動会ほかでの写真撮影」・・・
 地域では「深沢地区社会福祉協議会」「富士塚小学校評議員」「環境教育アドバイザー」・・・                                  
 ボランティアでは、いやはやこれまた、たくさんある中で特に注力されているものとして20年来関わっているNPO法人「山崎・谷戸の会」(鎌倉中央公園が活動の中心)でのご活躍をあげたい。

 20数年前当地区に転入してすぐに、いいようのない孤独感を感じたという。目前に整斉と密集する家並みの綺麗さとは裏腹のものだった。だから―――"笑顔で挨拶/多くの人と顔見知り/人と人とをつなぐ/子供たちに楽しい思いで作り"―――をモットーとする生来おまつり好きの真子さんは、二人のお子さまがいたこともあり迷わず「子供会」に入った。ついで「民生委員」「助け合いの会」へは自然の流れ。そして上記のような諸活動に・・・。『やりたいことを思う存分させていただいてきて、私はいま本当に幸せな毎日です』とつくづく述懐される。『ここはほんとにいい所です。たくさんのボーイフレンドもできました』。 大平山愛、丸山愛がそこにある。

 ところで、秋生さんがこのたび「深沢地区連合町内会防災担当者」を年度にわたってつとめられることとなったこともあり「防災」が大きな話題となった。大平山・丸山だけのことではなく深沢地区に数ある町内会・自治会を連合してのお役目だ。もちろん当町内会にも防災組織図はあるが、それは13人いる現役員に避難誘導や救出救護や給食給水などの役目を個々に割り当てた業務別分担。もとよりそれはそれで有用な整備だが、そこにいくまでのごく初期の大慌て(おおあわて)をどうしのぐか。顔の見えるお隣近所、近くの公園、たとえば子供会のお父さん達から派生する「オヤジの会」(真子さんのアイデア)などなど具体的な「共助」の意識づけと組織立てに5年10年かけてもいいから取り組む必要が話された。ご夫妻の前向きな態度は力強かった。「オヤジの会」などなんとか実現したいものだ。

そんなオヤジの秋生さんは『妻は心の広い人です』と率直におっしゃる。専業妻から頼られる一方は嫌いだという。だからか『毎日の食事は僕が作ってます』という。そして、町内にお役に立ちたいと真摯(しんし)にいわれ『パソコンの修理や問い合わせ』『TVなどの配線のお手伝い』などと品揃えはとても具体的だ。

 役割分担をしっかり意識しながら協働する斎藤ご夫妻には"ボーと過ごす"時間の消化はないようだ。四季のめぐりに"ボー"がないように・・・。お話うかがったときは1月。冬。 "冬を愛する人は 心広きひと――" あの歌はそういっている。
  インタヴューアー 天野弘一 
文 山田壽雄

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