この街のステキな方々 ④
群馬県ご出身の引田照代(ひきだてるよ)さんは、11―Aにお住まいです。高校時代の往復24キロ自転車通学や、赤城山など山歩きで健康な足腰を得られました。そしていま80歳。ピンとした姿勢、こ気味よい口跡(こうせき、ものいい)、そしてなによりも、その実行力・行動力の旺盛さにはもう降参です。前向きの積極さは本当にステキです。
あ、ステキといえば、お話をうかがった当日の彼女は淡いブルーグレイのヘア・ダイに黒基調のカジュアル衣を合わせて、これもまた本当にス・テ・キでした。
引田さんはいま「深沢地区福祉協議会の福祉協力員」、「
助け合いの会の代表」です。そのかたわら「一寸した悩みごと相談」に応えておられます。さらに加えて福祉活動グループ「深沢山百合会」です。今はこう落ち着かれましたが、ここにいたるまでには町内活動につきすざましいご活躍がありました。そのほんの一端をご紹介しますと・・・
45才という若さで町内会役員。民生委員を25年。深沢地区社協会々長を6年、深沢山百合会を30数年。さらに12人のお母さんとかたらっては高齢者用オムツの手作り縫製からはじめた支援活動"オダマキ会"を仲間と共にいまの"助け合いの会"に発展成長させ、その間を縫っては現町内会館創設にたくさんの汗を流されました。
他地域と共有する問題の解決には他地域との密な協働が必須です。自分達だけでどうにもならないことが多い。だから引田さんのように他地域にも顔と声とが通ずる人の存在はとても貴重です。たとえば、防災ひとつとってみてもここ大平山丸山は高台(たかだい)にある立地からして弧島にすらなりかねない。われらだけではまかないきれないことが多く、他地域との連携が不可欠です。それに備えたパイプ役、そして、そういう後継者の育成には引田さんのような方が居ると居ないとでは大違いです。
引田さんは、ご主人のご協力にしみじみと触れられます。<うちのは家内じゃなく家外だ>と彼はいいながらも来電メモをよく取次いでくれた。彼の一声二声が背中を押して私の長い活動を支えてくれた。群馬の生家のお隣の6歳上のおニイチャンでしたよ。
幼な友達、それが一緒になってそのままずっと。でも8年前に彼岸(あちら)に・・・。「私の活動はたくさんの人に恵まれたおかげです」とおっしゃる真っ先に引田さんはご主人を見据えておられます。
ところで引田さんは刺繍、ソロバンは相当のもの。パソコン歴も長い、長い。さらに毎日八人分の食事造りに貸す手を惜しまぬオバアチャマなのです。お子さま、お孫さまと同じ屋根の下に八人。いまどき珍しい大所帯です。着慣れたエプロン姿はご近所では知る人ぞ知る有名な絵なのだとか。そんなにお忙しいなか、いつ寝るのですか。
――私、あまり寝ないの。遅寝早起。でも大丈夫。いつでもどこでバタン・グー。 チョコッとグーの居眠り特技の達人ですから。
ほんとに明るいリーダー役がドンピシャの引田照代さんでした。
インタビュアー 天野弘一
文 山田壽雄